じんせい食堂

わたしからまいにちへ。

はぁtoはぁ?

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そこの彼女、彼氏が好き?

そこの奥さん、旦那が大事?


それならば、彼氏や旦那さんに

「ひとりの時間」をあげてください。

ひつぜん、あなたも「ひとりの時間」を

持てるようになります。


じぶんを知る時間があるということは、

だれかを知る時間でもある、ということ。


いろんな「出来事」は、全てそれが、

今の「原因」ではないのだとおもう。


出来事から原因へ結ぶのは、辿れば幼少期まで

遡ってしまうくらい割りかし深い。



そんな出来事があったら、丸で囲んで、

へたくそな図のように、矢印に何が

含まれるか考えてみてください。


きっとひとつではないはず。


そんなことを整理しないまま

ウツウツとしていると、だいじな人を

見失い大事な時間を損ない

自分まで見失ってしまう。



好きな人を苦しみに引きずるのではなく、

好きな人と楽しいほうへ引きずれるよう、



互いに「ひとりの時間」を

つくってみてください。


何も無いに越したことはないですが、

何かあるから生きていけるのかもです。


ふみ



いぬをよろしく。

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元旦那とか元夫という言い方をしない理由は、

しっくりこないからであり「元家人」と表すのがじぶんなりの納得になっている。


というのも、夫婦の時期は5年ほどであり、あなたのお墓にはお邪魔できなくなりましたよー、から、10年間一緒に暮らした、という理由が大きいのかもしれない。 


よくよく考えれば生まれたての赤ちゃんが高校入学しますよ、っていう時間を過ごしたことになる。


そんな元家人とは、犬を通じて時々コンタクトをとる。昨日は少し話す機会を作った。


もちろん、概ね、いぬ、について。

 

犬猫との暮らしに協力的なアパートを見つけ、

日当たりもよく、幸い犬も人間も

いまは、元気に暮らしてはいる。


だが、ひとつだけ気がかりなことが。


わたしが死んだら、の話し。


久しぶりに元家人と向かい合い、

勇気をもって切り出した。



「ひとつだけお願いしてもいいだろうか?私から2週間連絡がなかったら、LINEを送ってくれんやろか?既読がつかなかったら管理会社に連絡してほしい。すぐさま犬をひきとり世話してほしい」


彼は「いや、考えすぎやろ。でもわかった。」


いつなんどき、何があるかわからない。

っていうのはネガティブな考えではく、


私という人間、つまるところ、あまり人づき合いを好まない性質ゆえに、考えとかないといけない、いぬを巻き込んではいけない、という意思。


可愛い可愛いだけでは過ごせない。

いぬは家族だ。人間の意思がなければ、

ご飯も食べることができない。


< ゆだねます、お任せします、

そして、愛します。>


そんな純粋をずっと向けてくれる生き物に、

わたしがどんなに力不足なのかと、

思い知るこのごろだ。


元家人が帰ったあと、いぬ3匹は、

何回も何回も、玄関に行き、


さっきまで部屋にいた「おとうさん」を

待っています。


 

ふみ



パソコン版

スマホから、パソコン版で

いま、これを書いている。

 

パソコンは持っているのだが、

最近もっぱら携帯で足りているせいか、  

パソコンを開くのが億劫でたまらない。

 

このブログ形式は文字の大きさが

携帯では変更できないのでパソコン版を表示し、

スマホから書いている。

 

視力が極端に悪いので、裸眼で観れる色々が、

とても楽だと思いはじめた。  

 

リノベーションのパソコンは使ったことがなく、

慣れることもせず、、、。

 

パソコン依存だった自分が、いなくなった。

いまは、スマホ依存だす。だす。

 

 

んん?



桜が咲き始めた とある期日のこと。


ラソン大会に出る方たちに

同行させていただけた。


じぶんの都合で、なかなか遠出が

できない中、とても嬉しい気分でいたのだが、



車中の横に座った女性は楽しい話しは

ほとんどしない。心配事ばかりを口にした。



しかしそれもせっかく  

連れてきてもらったのだから、と

聞き流してはいたのだが、

 


道中、〇〇付近だっただろうか?

川に挟まるように家が建っている場所で、


なんとか話題を変えよう、

景色が見たいという気持ちで、


「わあ、こんな場所だと水位があがったら浸かるやろねー」とポロっと呟いたところ、


耳元で彼女は言った。


「ここは朝鮮人の部落だそうよ。」

 

なんだかとても背中がさわさわした。


元彼のくだらん心配事の身の上相談を

散々聞かされたあげく、


なんというツマラン発言をするのだ?


イライラが沸騰点を通過していくのがわかった。


それから3日たち、4日たち、

LINEが数回かきたが

読んでも返信する気になれなくなっていた。



朝鮮人だろうが、在日やら、国籍やら、

差別やら、どうだっていい。 



あなたはそれによって迷惑がかかったの?

こころの中で叫んだ。


ミサイルを落とすバカと同じに結びつけるのがどうなのか?こんな片田舎で細々といろんな家族が住んでいるだろうに、と、かなしくなるだけだ。


わたしはたいした人間じゃない。

しかし、そういう話しをする人に

心を許すことがどうしてもできない。


そんなわけで、彼女と縁をきった。


短い間だったが、LINEはウザいと嫌がられる、

ということだけを学ばせてもらった。


さよなら、通りすがりの人よ。


ふみ

オッケーGoogle


簡単に蓋をあけたり、完全に閉めたりできない、特別な思い出ってそんなふうだなぁと感じている。


特別な思い出がある、ということは、ソコにどれほどのエネルギーを注いでいたかという自分を知ることに繋がり、


年月を経ると そのことや、その頃についてゆっくり辿っていける道しるべにも似てるなぁと思えるようになってきた。


標識がないと道に迷う。
オッケーGoogleは、思い出の蓋までさがしてはくれないし、写真ファイルのデータだって、
容量が足りません、と確かに教える。


道しるべに建っている あまり開けたくない箱もたまにはあけて方向確認するひつようもあったりする。それがオッケーGoogleにはできない、あなたの手のぬくもりから探すものだと。

胸に手をあててゆっくり息をはく。
生きているからあたたかいでしょう?

そのエネルギーは、そのころに比べれば、わりと僅かに柔らかく緩やかであったりもしやしないか?と、いま、じぶんに問うているところ。


ふみ

アイテムがくさる


マリオカートがゲーム機でのデビュー。

たぶんいちばん車体ともに軽いであろう、

キノピオを選んでいた。


ビジュアルが好きだったからだな。 

キノピオ元気かな。。。ってなんでやねん。


いまでは、スマホで出来るゲームを

何種類か「インストール」している。


そんな数種類に再び加えたゲームがある。

サイチェンだ。LINEポコポコ。


だいぶレベルの高いとこまでいったが、

ゲーム最中にクラッシュ続きで、

あきらめていたが、再インストールに成功。


さっき、アイテムが腐りますという通知が。


そうだった。ポコポコはアイテムが

くさるのだったなぁ。刈り取らないと。


それにしてもよくできているなぁ〜

こんなにシンプルで頭を使うゲームをどんな

優秀な人がつくったんだろう?


ふみ