じんせい食堂

わたしからまいにちへ。

せんべつしますか

桃太郎でたとえる。


視野を広げたいから、遠方を見る。

経験を積みたいから、旅もする。


成功する人は、その流れの中で、

桃太郎のように、きびだんごをふるまい

愛らしく潔くある性格で、お供を得ることも。


しかしいつかは、お供したキジやサルや

犬が増えてくると自分目的を果たすために、

渡していた きびだんごの数を揃えることに、

しゅうしゅうがつかなくなる。


ゆえに、

能力がある、じぶんに都合がつくもの、

それ以上「使えない」ものに渡すきびだんごを選別しはじめる、それは本能でもあるかしれない。

「食うための狩」「ボスという縄張り」    



・その昔は、葬式に参列が多いほど、

親しまれた「証」と称えられていた。


当時14歳で父が突然死をしたとき、

「おとうさんは人徳者だったんやね、こんなに沢山来てくれて」と、数人に声掛けられたが、


わたしには父が人徳者というより、商売をしていたから、付き合いが多かったんだよね?と思って首をかしげた。


生意気な中学生だと思いますか?


そんなことより、たくさんの人に祝福されたり、惜しまれたりすることについて、


わたし個体として趣きを置いてはいない。  

   

こころが通わない儀式参列ほど、

ぐにゃぐにゃしたもののようにみえたり。


誰かが見ていなくても、

正直に素直に生きている人には、


自ずとついてくるものだなぁとは思う。


滲み出るような深いもの。

それは自分が知り得る範囲でじゅうぶん。



ふじゅうぶんなことに、 

腹をたてないように。


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DID

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解離性同一性障害(DID)

と呼ばれる病について、いま勉強している。


なぜ、それを知るのか、については、

じぶんの幼少期を辿ることになる。



昔の友人にはポツポツと話していたが、

たぶんにして、受けながされていると思う。


なるだけじぶんという生命が、

たのしいもの、として映るように、

無意識に、いや、意識的に、かもしれないが、

そうやってきたから。


伏せてきた過去。


じぶんには幸い発祥しなかった病。


それでもいま、わたしが苦しい立場であること、

それはネット上で話す気にはまだなれない。


そんな時、


DID(解離性同一性障害)

という病気を受け止め、動画として

記録している女性をみつけた。


立派だと思う。


彼女の話しは、DIDである、という

以前に、人として本当に素敵だ。



それゆえに、思うように生きれない辛さ、

葛藤、迷い、はがゆさ。


https://youtu.be/XU-7EckQYx0

 

彼女のYouTube発信は、いわゆる

主体としての人格ばかりではありません。



何人も存在する自分の中の

「あの子、あの人、みんな、保護組」には、

それぞれ名前がついています。

語彙がわからない場合には、

過去動画を遡ってみてください。。



YouTubeの一部のリンクを貼ります。

よく知ってください。一度みても

わかりません。



人にはわからない、

そんな苦しみがありながら、

じぶんとじぶんの中の数人を

直視して生きている人がいることを

知ってもらいたい。


福祉の利用法なども、 併用して

知っていてほしいことです。


ふみ



むだい


「君が居たから

ロボットになれずにすんだ。」


っていう小説書こうかな。


うそだけど。


窓を開けたらサワッーっと風が。

なんか懐かしい。


制服が夏仕様に変わって、半袖が

少し寒いなぁって思っていたころを、

思い出した。


学校を好きだった日なんか、

たぶん一日もなかったなぁ。


家に居るのが嫌だから

出かけていたのかも。勉強もせず、


ボケーっと外ばかりみていたなぁ。


今のじぶんを、見ていたのだろうか?


ひとつだけ教えてあげたい。

県外に出ないで美容師になる選択が、

君には合ってたと思うよ。



キャラをつくる

それはどんなに作られたキャラでもいい。


裏事情は自分の内へ。

チームなら自分たちの内輪で。



わたしだってスーパーで働くときに、キャラ作りを試みた。大人になっての反抗期に決着をつけようと決めた日から。




「ニコニコした若者になる」



これが思った以上に頼られた。

周りが楽しい顔になると嬉しく、

やたらと褒められた。




見破られてもいいじゃない。その「根付く癖」がつくことで長くやれる秘訣なら。   



他人がよろこんでくれるのならば、

謙虚を忘れず、感謝を忘れず、  驕らず、。



それは、先々、じぶんの嬉しみとして

実感できる日がくるよ。



人がよろこんだぶんだけの、

よろこびがやってくる。がんばったんだもの。



そうだよね?(過去の自分に再確認)

 

ふみ



シャク

 

はぁ?

はぁー?


いま、この文字に

はぁ?と思いましたか?


この「はぁ?」と、聞き返す、という

響きや、文字って、なんだかとても

よくないですよね。


じゃあ、なんで「はぁ?」がシャクに

触ったりするのかと、考えたことありますか?


ふしぎなんですよね。


はぁ?という一言で、鬼のようになったり、

縮こまったりする、振り回される。


脳の中から、はぁ?を消しましょう。

言われたら気持ちがよくないことは、


言わないほうがいいです。


ふしぎな文字なんです、「はぁ?」は。



たねまき

芯は柔らかいのにツノが立つ。

そんな草花を思うと、

根っこの強さを感じずにはおられない。


ある医療関係のテレビドラマで、

「人間を植物にたとえるな」という

セリフがあった。


その場面では胸に響くことばであったが、

ドラマから離れた日常は

人間を植物にたとえるのはしっくりきたりする。


 土は、雨が降らないとかたくなり、

根の広がりを塞きとめる。


暑さの前にやってくる梅雨は、

大地の根をのばすためにやってくるようにも思えて、枯葉を腐葉土とし生命に役立てる。


そこへ虫や動物がなんらかの種をつけて歩いたり飛んだり跳ねたり走ったり。


人間も、動いている人がいるから、

とまっていられる人もいる。


散漫な文章だが、

まいにち、いろいろ思考ほど、

種蒔きがうまいものはない。



ふみ



役割やる?

 

 

いぬとの暮らしが長いと、

へ〜、そうなる?そうなんだ〜

という発見があったりする。

 

 

今は3匹がわたしと暮らしていて、

2匹(あずき&くー)は元同居人が、というカタチになり、   

いぬには申し訳がたたないのだが、、

 

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 左が娘くーちゃん。右が母犬あずき。

(こむぎがお父さん)

 

最近気づいたのだが、

5匹との暮らしの中には役割分担があって、

 

「だれか来たぞ!」の号令は、

黒豆(くーちゃん)の役目だった。

 

 

アパートに越して来てからは、

居るか居ないかもわからなかったくらい

大人しかった、おはぎ(おーちゃん)が、

 

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(おはぎ)

 

「だれが来たよ!」の役目をし始めている。

玄関にいちばん近いところに寝そべり、音がするとごそっと外をみて、アウッと知らせる。

  

 

こむぎくんが、

わたしのお風呂とトイレを覗き見しなくなった。

 

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(こむぎ)

 

いや、あれは覗き見じゃなかったんだな。

ゲロゲロ。

 

お風呂が長くなると、白い影がふわふわとすりガラスに映る。トイレに入ると小さい爪音がカサッカサッとなる。

 

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(くま)

 

クマくんが元同居人のところからこちらに移ったら日から、

こむぎの代わりに「おかあさん、だいじょうぶ?

居るならいいんだけど置いていかないよね?」の見張り番になった。

 

 

ふしぎだよなぁ。

いぬどうしで、なんか話し合いとか

してるんだろうかね?

 

ふみ